2008年になりますた
はーい、しれっと翌年更新。
幸か不幸か、まだまだAちゃん現役でございます。
以下は、1年くらい前に書いたまま下書きに放り込んでおいた記事ですが、せっかくなんで載せます。
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えーと、もしかして恥ずかしいことかもしれないので、あんまり言いたかないんだけども。
太宰治を読んだことがない。教科書で「走れメロス」くらいしか。
田舎出で貧乏で不幸で、生涯に5回も自殺図ったとか、イジけた、暗い雰囲気しか嗅ぎ取れなくて、いや、暗いのはむしろ好きなんだけども、「人間失格」とか「生まれてすみません」とか不幸自慢というか、甘ったれというか、とにかく読むと疲れそうで今まで手が伸びなかったんだけども。
ひょんなことで彼の「如是我聞」という新聞連載用のコラムを読んだらコレが非常にオモロい。
中味は自分の作品を酷評した評者への反論なんだけども、まあその怒りようといったらものすごい。相手の作風のみならず、人格をもとことんまで否定する。
言えるだけの悪口を言ってちょっと鎮まったかなと思ったら、まだ言い足りないとばかりに延々罵詈雑言が続くに及んでは、サマーソルトキックで蹴り上げておいてパンチのラッシュを浴びせ回し蹴り&さらにサマーで蹴り上げの無限コンボである。普通は読んでて胸が悪くなりそうなものだが(書かれた本人は悪かろうが)、病的ななかにもやっぱりちゃんと文芸作品になっていて、テンポがあり、流れがあり、読者が味方にひっぱりつけられるようなユーモアがあり、パワーがあってセンスがある。
死にたい死にたいと言うくせに一人じゃ死ねないナヨナヨした男だと思ってたんで、こんな面白い人だったのかとちょっと驚いた。
先に太宰が小説「津軽」の中で、名前こそ出さないが志賀直哉の作品について批判したんだそうである。
志賀直哉といえば、芥川龍之介が「先生、どうやったらあんな文章が書けるんでしょうね」と夏目漱石に志賀の文章について訊くと「俺もああいうのは書けない」と答えたという、自然主義小説の大家である(ってアタイ彼のも読んだことないのだがね)。
芥川龍之介は太宰の憧れの文豪でもある。技巧を駆使し、絢爛な文章を遺した芥川が、志賀直哉の自然小説を羨望視していた。松本清張は芥川が何で志賀をこうも怖れたか、私などにはよくわからん、と書いている。
その志賀は太宰の頃にはまさに文壇の大御所で、太宰よりも30歳近く年上だ。若い新進作家のいうことなど一々相手にしなければよいものを、御大も痛いところをつかれたのか、座談会の席で痛烈にやり返した。しかし老人、相手が悪かった。太宰はもともと排斥主義の上に、この頃すでに病や麻薬で神経がヤバめだった。倍返しどころではないことになってしまった。
太宰本人はまだまだ書くつもりだったみたいだが、残念ながら自殺が成功してしまって途中で終わったような形になった。
太宰が悪口を云いっぱなしで自殺するとは考えにくい。
これをして、最後の自殺は、薬でパッパラパーになっていた太宰を誘導した、女による無理心中だと云われる所以のひとつだそうだ。
如是我聞(青空文庫)
幸か不幸か、まだまだAちゃん現役でございます。
以下は、1年くらい前に書いたまま下書きに放り込んでおいた記事ですが、せっかくなんで載せます。
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えーと、もしかして恥ずかしいことかもしれないので、あんまり言いたかないんだけども。
太宰治を読んだことがない。教科書で「走れメロス」くらいしか。
田舎出で貧乏で不幸で、生涯に5回も自殺図ったとか、イジけた、暗い雰囲気しか嗅ぎ取れなくて、いや、暗いのはむしろ好きなんだけども、「人間失格」とか「生まれてすみません」とか不幸自慢というか、甘ったれというか、とにかく読むと疲れそうで今まで手が伸びなかったんだけども。
ひょんなことで彼の「如是我聞」という新聞連載用のコラムを読んだらコレが非常にオモロい。
中味は自分の作品を酷評した評者への反論なんだけども、まあその怒りようといったらものすごい。相手の作風のみならず、人格をもとことんまで否定する。
言えるだけの悪口を言ってちょっと鎮まったかなと思ったら、まだ言い足りないとばかりに延々罵詈雑言が続くに及んでは、サマーソルトキックで蹴り上げておいてパンチのラッシュを浴びせ回し蹴り&さらにサマーで蹴り上げの無限コンボである。普通は読んでて胸が悪くなりそうなものだが(書かれた本人は悪かろうが)、病的ななかにもやっぱりちゃんと文芸作品になっていて、テンポがあり、流れがあり、読者が味方にひっぱりつけられるようなユーモアがあり、パワーがあってセンスがある。
死にたい死にたいと言うくせに一人じゃ死ねないナヨナヨした男だと思ってたんで、こんな面白い人だったのかとちょっと驚いた。
先に太宰が小説「津軽」の中で、名前こそ出さないが志賀直哉の作品について批判したんだそうである。
志賀直哉といえば、芥川龍之介が「先生、どうやったらあんな文章が書けるんでしょうね」と夏目漱石に志賀の文章について訊くと「俺もああいうのは書けない」と答えたという、自然主義小説の大家である(ってアタイ彼のも読んだことないのだがね)。
芥川龍之介は太宰の憧れの文豪でもある。技巧を駆使し、絢爛な文章を遺した芥川が、志賀直哉の自然小説を羨望視していた。松本清張は芥川が何で志賀をこうも怖れたか、私などにはよくわからん、と書いている。
その志賀は太宰の頃にはまさに文壇の大御所で、太宰よりも30歳近く年上だ。若い新進作家のいうことなど一々相手にしなければよいものを、御大も痛いところをつかれたのか、座談会の席で痛烈にやり返した。しかし老人、相手が悪かった。太宰はもともと排斥主義の上に、この頃すでに病や麻薬で神経がヤバめだった。倍返しどころではないことになってしまった。
太宰本人はまだまだ書くつもりだったみたいだが、残念ながら自殺が成功してしまって途中で終わったような形になった。
太宰が悪口を云いっぱなしで自殺するとは考えにくい。
これをして、最後の自殺は、薬でパッパラパーになっていた太宰を誘導した、女による無理心中だと云われる所以のひとつだそうだ。
如是我聞(青空文庫)
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