とかく浮き世はままならぬ
久しぶりに東京にも中国からの黄砂が届いたってーのでテレビで盛んに黄砂豆知識を披露されるおかげで、これまで知られてなかった黄砂の「汚い」以外の弊害まで知るハメになっちゃって、かなりイヤ。
中国の大気汚染(汚染度・東京の倍)の有害物質をくっつけて飛んできてるって今さら何よソレ。
さて、わが街の場末映画館で『鴛鴦歌合戦』を上映してたので観てきました。
本作は片岡千恵蔵主演の昭和14年に製作されたモノクロ映画。最近になってデジタルリマスターされた豪華DVDが発売されるなどカルト化しておるので、ご存知の方も多いはず。
盧溝橋事件の翌年で日中戦争から大東亜戦争へ、2年後には日米開戦という、世のムードはまさにカーキ色だった頃に作られた、なんでもかんでも歌ってしまえのご陽気痛快時代劇オペレッタです。
なにしろ面白いと聞いていたので、どうせなら映画館で観てやろうと思ったんですが、これくらい古い映画だとあんまり意味なかった…。どうせ画面は正方形だし、当然ながら音源が悪いので映画館の大音響じゃ音が割れまくって会話や歌詞の内容がよく聴き取れない。アタイは最後までほとんどの登場人物の名前が判然としなかった。
DVDはそのへん補整して字幕が出るらしいので、改めてまた見直そうとは思うんだけども。そう、終わってすぐもっかい観たいと思ったら、アタリの映画なのです。
ストーリーは、全く練ってもひねってもないのでザッと説明できるんですが、
時は江戸時代。傘はり職人のオヤジの一人娘(木村カエラ似)は同じ長屋の浪人者に惚れていながら素直になれない。浪人者も娘を憎からず思ってるが、彼女のツンデレぶりがたまらなくてついつい意地悪、さっぱり進展しないもどかしさ。対して近所に住む商家の美人娘は浪人者に猛烈アピール。だが浪人者には亡き父が決めた従妹の許嫁がいてこれまた親娘で強力アピール。さらにさらに傘はりオヤジが骨董狂いの縁で知り合った頭ピーカンな殿様が、オヤジの娘を見初めてしまったからさあ大変。恋の鞘当て横恋慕。好きなのに、ああ好きなのに、すれちがい、また絡み合う、惚れたハレタが、くんずほぐれつ大江戸横町。「とかく浮き世はままならぬ〜♪」
といった具合で、のっけからとにかく問答無用に歌い倒します。髷にハカマにヤケクソに明るい歌詞のスイングジャズ。ドリフ世代には(もちろんクレイジーキャッツ世代にも)違和感ビタイチなし。
この映画の神的存在はバカ殿役のディック・ミネで、戦後は芝居もできる歌手ってことで忙しくされてたという御大、本作では前半、台詞を云いながら聞きながら目が泳ぎまくっております。ところがやはり歌う場面は立て板に水、しかも後半になるに従って本人ノッてきたのか、芝居までどんどんどんどん面白くなってくる。中盤で傘はりオヤジの娘をほしがってる歌をノリノリで歌ってるところはもお涙が出るほど爆笑です。
表面上は主役の花形、片岡千恵蔵の見せ場は中途半端な立ち回りを見せてくれる程度ですが、実質上の主役、志村喬がこれまたスバラシイ喉を披露。この人は、ついこないだ「男はつらいよ」第一作で見て(博=前田吟の実父役)、黒澤映画で見た姿を思い出し、存在感まで自由自在に操れる役者さんだなあと感心したところだったので、演技幅に加えて多芸さにまた唸らされた次第。
しかし、後年にもこの手のオペレッタ時代劇は量産されたようですが、それらを見ていないので、なぜにこれだけリバイバル上映されるほど永きに渡って絶賛されているのかはちょっとわからない。日本初だからか?ディック・ミネが面白すぎるからか?
とにかく、こういう映画は、映画館で「いいぞお!」とか「ちえぞう!」とかの間の手入りで、観衆のヤンヤヤンヤの中で観たかった。そう、できればリアルタイムで。
ラストのグランドフィナーレが終わるとブツッと切られて、灯がつくと観客3人の泥土のように静かな場末映画館に戻って来たときの空しさは筆舌に尽くしがたい。
(画像は日活.comより)
中国の大気汚染(汚染度・東京の倍)の有害物質をくっつけて飛んできてるって今さら何よソレ。
さて、わが街の場末映画館で『鴛鴦歌合戦』を上映してたので観てきました。
本作は片岡千恵蔵主演の昭和14年に製作されたモノクロ映画。最近になってデジタルリマスターされた豪華DVDが発売されるなどカルト化しておるので、ご存知の方も多いはず。
盧溝橋事件の翌年で日中戦争から大東亜戦争へ、2年後には日米開戦という、世のムードはまさにカーキ色だった頃に作られた、なんでもかんでも歌ってしまえのご陽気痛快時代劇オペレッタです。
なにしろ面白いと聞いていたので、どうせなら映画館で観てやろうと思ったんですが、これくらい古い映画だとあんまり意味なかった…。どうせ画面は正方形だし、当然ながら音源が悪いので映画館の大音響じゃ音が割れまくって会話や歌詞の内容がよく聴き取れない。アタイは最後までほとんどの登場人物の名前が判然としなかった。
DVDはそのへん補整して字幕が出るらしいので、改めてまた見直そうとは思うんだけども。そう、終わってすぐもっかい観たいと思ったら、アタリの映画なのです。
ストーリーは、全く練ってもひねってもないのでザッと説明できるんですが、
時は江戸時代。傘はり職人のオヤジの一人娘(木村カエラ似)は同じ長屋の浪人者に惚れていながら素直になれない。浪人者も娘を憎からず思ってるが、彼女のツンデレぶりがたまらなくてついつい意地悪、さっぱり進展しないもどかしさ。対して近所に住む商家の美人娘は浪人者に猛烈アピール。だが浪人者には亡き父が決めた従妹の許嫁がいてこれまた親娘で強力アピール。さらにさらに傘はりオヤジが骨董狂いの縁で知り合った頭ピーカンな殿様が、オヤジの娘を見初めてしまったからさあ大変。恋の鞘当て横恋慕。好きなのに、ああ好きなのに、すれちがい、また絡み合う、惚れたハレタが、くんずほぐれつ大江戸横町。「とかく浮き世はままならぬ〜♪」
といった具合で、のっけからとにかく問答無用に歌い倒します。髷にハカマにヤケクソに明るい歌詞のスイングジャズ。ドリフ世代には(もちろんクレイジーキャッツ世代にも)違和感ビタイチなし。
この映画の神的存在はバカ殿役のディック・ミネで、戦後は芝居もできる歌手ってことで忙しくされてたという御大、本作では前半、台詞を云いながら聞きながら目が泳ぎまくっております。ところがやはり歌う場面は立て板に水、しかも後半になるに従って本人ノッてきたのか、芝居までどんどんどんどん面白くなってくる。中盤で傘はりオヤジの娘をほしがってる歌をノリノリで歌ってるところはもお涙が出るほど爆笑です。
表面上は主役の花形、片岡千恵蔵の見せ場は中途半端な立ち回りを見せてくれる程度ですが、実質上の主役、志村喬がこれまたスバラシイ喉を披露。この人は、ついこないだ「男はつらいよ」第一作で見て(博=前田吟の実父役)、黒澤映画で見た姿を思い出し、存在感まで自由自在に操れる役者さんだなあと感心したところだったので、演技幅に加えて多芸さにまた唸らされた次第。
しかし、後年にもこの手のオペレッタ時代劇は量産されたようですが、それらを見ていないので、なぜにこれだけリバイバル上映されるほど永きに渡って絶賛されているのかはちょっとわからない。日本初だからか?ディック・ミネが面白すぎるからか?
とにかく、こういう映画は、映画館で「いいぞお!」とか「ちえぞう!」とかの間の手入りで、観衆のヤンヤヤンヤの中で観たかった。そう、できればリアルタイムで。
ラストのグランドフィナーレが終わるとブツッと切られて、灯がつくと観客3人の泥土のように静かな場末映画館に戻って来たときの空しさは筆舌に尽くしがたい。
(画像は日活.comより)